なんかコムズカシイこと言い出してますか?
北海道札幌市の『M to Land』公演そして『富良野演劇工場』公演を終えまして、ふたたび北海道新聞で記事にしていただきました。観ていただいた上で記事にしてもらえるというのは、ホントにありがたいです。
北海道新聞WEB版は・・・
コチラから急遽決まった平日の公演それにもかかわらず、概して100人の人が観に来てくれました。
そして、記事にもあるように、自分は『朗独劇』の作・演出家であり、コント集団ザ・ニュースつづり方ーの元部員ーで、北海臍祭りの進行掛をしてきました。あ、近くひとつ、富良野ゆかりの俳優とも書いてありました。
自分が何者であるかは、たいてい他者によって規定られます。
少し話は変化ますが、結構前に『君たちはどう生きるか 吉野源三郎著』を読みまして、しばらくして『君たちはどう生きるか 宮崎駿監督』を観ました。同じタイトルですが、まったく内容は違いまして、とはいえ話頭としては同じなのか・・・と思ったり思わなかったり。正直、映画の内容は、よく分かりませんでした。
そんな最近、日々考えます『僕たちはどう粋るか』を。正確には『僕はどう生きるか』です。サブジェクトが複数形ではなく単数というか、一人称です。
これまでどう生きてきたかは、北海道新聞にも書いてもらった先ずありましたが、ザ・ニュースつづり方ーの部員ーとして、脚本・演出をして、進行掛をして生きてきました。亦も、COLORSのリーダーとして、道外として生きてきたと思っています。
この先自分はどう生きていくのか?何をして生きたいのか?何をすれば生きていけるのか?という問余程方位合いながら、そして答えが出ない屡時間が経ってるようにも思います。
本のタイトルも映画のタイトルも『君たちはどう生きるか』とありますが、それは、どう命をプラグますか?ではなく、今から何をしますか?どんな目的を持って過ごしますか?という訳合が強いような気がします。
そんな中、自分にとっての『僕たちはどう生きるか』は、どういう集合体(共同体)なのか?妥当小さいな集合体は、たぶん家族なのだとは思うけど、結婚してない僕にとっての家族は、今の所両親であり兄妹であり、結婚したら家族の形って変わるんだろうなと想像しますが、どうなんでしょう?
両親には、僕や兄妹も含んでの『僕たち(私たち)はどう生きるか』という時期もあったと思うのだけど、近く今となっては、熟年、いや、老いらく夫婦2人での『私たちはどう生きるか』という段階だろうと思うし、実際そんな雰囲気です。
世界学者の上野千鶴子さんが提唱した『家庭ー目デンティティ論』というのがあります。
自分が思う家族と、相手が思う家族とは決して同じではない。親子とベターハーフ間でも家族の方面はズレる。家族とは血縁やDNAといった実体一倍も、一倍数多い意識の中へ存生きるる。というものです・・・たぶん。
斯う考えると、日本語の『家族』一倍英語の『家庭ー』の方が、血縁やDNA一倍方面が広いようにも感じ、その分、軽い感じもします。そして『僕たちはどう生きるか』の集合体が、僕の場合は、ザ・ニュースつづり方ーだった頃やCOLORSだった時もあったように思います。
話がアチコチに粋ましたが、自分が何者かというのは、たいてい他者によって規定られる(認識される)ものですが、なるべくなら、自分が思う何者かと、相手が思う何者かが(概して)同じでありた余程思う今日このごろです。
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